いじめっ子がいじめられるようになった時、やっといじめられる痛みを知ります。
小学生の頃、いじめは良くないと知りつつもいじめていた時期があります。
いじめっ子だった私の立場は逆転し、いじめらた時にはじめて、いじめられる痛みを知りました。
いじめっ子がいじめられっ子に転身した私の体験談をご紹介させていただいます。
いじめっ子からいじめられっ子になった私の体験談
この世には因果応報の力が働いています。
いじめにも当然因果応報の力が働き、その報いはいろいろな形となって返ってきます。
私のように、自分がいじめられるようになったり、人から嫌われて相手にされない等、いじめた報いを必ず受ける日がきます。
自分だけならまだしも、あなたがいじめた因果は、自分の子供や、子孫に返ってくる事も珍しくありません。
いじめっ子の将来が悲惨になる話はわりと知られていて、【実話】いじめっ子のその後・将来不幸になった14の末路でご紹介していますのでご覧ください。
いじめは、誰の為にもなりません。
いじめのない世の中になると良いですね。
それでは、人をいじめていた私がいじめられるようになった、小学生の頃の話をさせていただきます。
いじめる側の人間だった私
小学生の頃、クラスメイトをいじめていた事があります。
複数でひとりをターゲットにする卑劣ないじめでした。クラスの1/3の男子が1人の男の子をいじめていたのです。
いじめの発端となったのは、ちょっとした見栄を張った彼を執拗に責め、嘘つきだという噂がクラスに広がったせいです。
初めは「ちょっとかわいそうだな…」と思う気持ちをもちながらのいじめだったのですが…
日に日にそういう気持ちは薄れてしまい、仲間はずれや悪口が当たり前のようになりました。
プロレスごっこと称し、複数で男の子にプロレス技をかけては「弱い」と罵ったり、露骨に悪口を言っては仲間外れにする等…
大勢にいじめられる側の気持ちを考えずに「嘘つくから悪いんだ」という大義名分を掲げて酷いことをしました。
大義名分があればいじめるというのは大人社会にも言えることで、「いじめはダメ!」と子供に教えながらも、会社に行けば部下を罵っていたりするのですから、自然と子供も真似をします。我々大人は、自分の事を棚に上げて言わないように気をつけなければなりませんね。
話を戻しますが、みんなでいじめた結果不登校となり、保護者や先生にいじめの実態が知れ渡り、こっ酷く怒られ彼をいじめる人はいなくなりました。
それから一年もしないうちに私は因果応報の報いを受けました。
いじめられる側の人間へと立場が逆転
私はちょっとした誤解がきっかけで、いじめる側からいじめられる側になりました。
複数人から無視されたり、靴をゴミ箱に捨てられたり、プロレス技をかけられる対象になりました。私のしたことが、そっくりそのまま返ってきたのです。
学校に行くのが嫌になり、教室に入るのも嫌でした。
イジメられる側は嫌だろうと頭では何となくわかっていましたが、身を持ってこんなにも辛いんだと知りました。
ある日、私をかばってくれた友達のおかげでいじめはなくなりましたが、この経験がなかったら今でもいじめる側の人間だったかもしれない…
人をイジメて優越感に浸って、自分の存在価値を見出す。
なんて「弱い」人間でしょう…
でも、そのような人は大人にも多いので社会問題だと思います。
私は、いじめる側といじめられる側の両方を経験したことで、どちらの気持ちも分かりました。
小学生の私にとても分かりやすい因果応報でした。
当時の記憶があるから、いじめてはいけないという気持ちをもっていますので、いじめられる側を経験できたのは大きかったと思います。
いじめれば何らかの形で報いを受ける
因果応報はすぐに返ってくるものや、来世に持ち越すもの、いろんなパターンがありますが『間違いに気づかせる出来事』は遅かれ早かれ起こります。
いろいろな罪を重ねてきた私は、因果応報を報いをたくさん受けたので、必ず報いを受けるのは間違いないと思っています。
蒔いた種を刈り取る、悪い芽を刈り取り良い種を蒔けば、いつかたくさんの良い芽が出ます。
日々の積み重ねが未来をつくりますので、良いおこないを心がけていきましょう。