いい人を装い「あなたの為にこうさせて」と善意を押し付ける人がいます。
それだけならいいのですが…
その申し出を拒否すると怒り出すのはなぜでしょう?
そこには、善意の押し付けをする人の心理が働いています。
この記事では、善意の押し付けをする人の心理と、善意の押し付けではない本当の善意が何かをお話させていただきます。
善意の押し付けをする人の心理
「自然な善意」と「善意の押し付け」があります。
自然な善意が本当の善意になりますが、善意の押し付けは、俗に言うお節介のこと。
善意を押し付けるのは、想いを遂げたい自己満足が含まれているため、押しつけがまくなり、単なるお節介になりがち…
私の言う通りにしたらうまくいったでしょ?私って凄いでしょ?あなたの為よ…
善意を押し付ける背景には、自分をリスペクトしてほしい心理が働いています。
相手が言う事を聞かないと、承認欲求を満たせなくなるので怒ってしまいます。
つまるところ、善意を押し付ける人は、相手の為よりも、自分の為に押し付けている事になります。
善意を押し付ける人は、承認欲求を満たしたい心理が働いており、要は自己満足であると言えます。
善意の押し付けは相手の気持ちを無視している
善意の押し付けは、相手の気持ちを無視したひとりよがりの押し付けになります。
たとえば、近所の老夫婦のお婆ちゃんが入院して、お爺ちゃんが不憫で可哀想…という場合、助けてあげようと思うかもしれません。
その際、「可哀想だからご飯を食べさせてあげよう」と思うかもしれませんが、一歩間違えると、善意の押し付けになりかねません。
こちらが可哀想だと思ったとしても、お爺ちゃんは本当にそれを望んでいるのでしょうか?
もしかしたら一人で気楽だと思っているかもしれません。一人でゆっくりしたいお爺ちゃんからすれば、ご飯を食べさせてもらう事は大きなお節介になります。
はたから見て不憫に思ったとしても、本人はそうではないという事はよくあることです。
相手の気持ちを無視して世話を焼くと、善意の押し付けとなり迷惑になります。
いくら善意であっても、押し付けるとただのお節介になるので、相手の気持ちを尊重する事を忘れてはいけません。
上から目線は善意の押し付け
上記の話の続きですが、「ご飯を食べさせてあげる」という表現は「〜してあげる」という上から目線です。
上から目線で誘われても、お爺ちゃんは肩身が狭く、嬉しくないのが本音かもしれません。
可哀想という同情も、〜してあげるという上から目線も、心のどこかに、面倒を見てあげることで、自分の欲求を満たしたい事が垣間見れますよね。
さらには、周囲の人に、私がお爺ちゃんの面倒を見てあげていると話せば、自分の善意を人に知ってもらいたい思いがあります。
その時点で、せっかくの善意も偽善者と言われかねません。
上から目線になると、善意も押し付けがましくなるので、自然な善意をおこなうには、身を引く謙虚さも必要です。
押し付けない自然な善意が本当の善意
本当の善意は自然な善意になります。
自然な善意は、押し付けがましい善意とは違い、相手の意思を尊重した上で善意を行い、周囲の人にひけらかす事もありません。
承認欲求を満たしたい善意は押し付けがましくなりますが、本当の善意そのような事はありません。
本当の善意は、承認欲求が極めて少ない善意の事です。
自然な善意の姿勢
たとえば、困っている人がいたら、「困っているなら言ってくださいね」と一言声をかける。
一度言っただけでは社交辞令だと思われるので、顔を合わせた時に「どうですか?」と再度声をかけ、社交辞令ではない事をさりげなく示します。
そして、いつでも相談に乗る姿勢を見せるために、連絡先を渡しておくなどすると、さらに伝わるでしょう。
このさりげない善意こそ、自然な善意であり、善意の押し付けと言われない方法になります。
善意の押し付けは、何度もしつこく押し付けますが、自然な善意はそのような事はしません。
無理やり相手を動かすのではなく、相手の意思に任せるのが本当の善意です。
やっている事は同じでも、押し付けがましくない、自然な善意を心がける事が大切になります。
善意をおこなう際に気を付けていただければ幸いです。