臨死体験者が語る天国と地獄の体験【人は寿命と死に方を決めている】

臨死体験者が語る天国と地獄の体験【人は寿命と死に方を決めている】

これを読んでくださっている方の中にも、臨死体験をされた方がいらっしゃるかもしれませんね。

その時の世界はどうでしたでしょうか?

臨死体験は、大きく二つに分かれると言われています。

厳密にはもっと細かいですが、天国の臨死体験と、地獄の臨死体験に分けられます。

また、臨死体験者は三途の川を見ると言いますよね。

この記事では、三途の川を見てきた人の話をはじめ、臨死体験の実体験を基にご紹介したいと思います。

目次

三途の川を見た臨死体験

臨死体験者の多くは、三途の川を見たと言います。

三途の川を渡ると、この世には戻って来れないと言われています。

また、生死の狭間から生還した人は、三途の川を渡るのを止められたと言います。

まずはじめに臨死体験の象徴とも言える、三途の川を見て生還した人の話からご紹介したいと思います。


[30代女性]

私は20代前半の頃の1ヶ月半、記憶に空白の時間があります。

その頃に臨死体験しました。

ある日私は、先輩が運転する車の助手席に乗っていました。

普段からスピードを出して運転する人だっので、少し怖いなと思いながらも乗っていました。

明け方、少し空が明るくなってきたころ、突然目の前に電柱があらわれ、そこから1ヶ月半、私は記憶がありません。

もう少しで手足を切断しなければいけないほどの大怪我、大事故だったようです。

先輩の安否はわかりません。

病院に運ばれた私は3日ほど意識がなく、意識を取り戻してからも1ヶ月半は4歳児になったり、急に乱暴になったり、人格がころころ変わっていたそうで、その頃の記憶がないのです。

私は正気を取り戻してから、ある夢を見ていたことを思い出しました。

その夢は今でも鮮明に覚えているのですが、夢の中で私は川岸にいて、川の向こうには死んだおばあちゃんがいました。

私はおばあちゃんのほうに行こうとするのですが、怒ったところを一度も見たことのない優しいおばあちゃんが、鬼のような形相で必死に何かを訴えていました。

結局私はその場に立ち尽くし、川は渡りませんでした。

今思えば、おばあちゃんは「こっちにくるな!」と言っていたのだと思います。

三途の川って本当にあるんだなと実感した体験になりました。


三途の川の向こうに親族がいて、川を渡るのをとめられるという話は、臨死体験者が多く経験することだと思います。

寿命でもないのに来るなということでしょう。

人は生まれる前に死に方を決めている(自殺は別)と言われています。

のちほどご紹介しますが、寿命でもないのに来るなと言われた上に、死に方が違うと言われた臨死体験を経験された方がいらっしゃいます。まさに、寿命が決まっていて、死に方を決めていると思わせる内容です。

その前に、臨死体験にはさまざまなパターンがあるというお話からさせて頂きます。

臨死体験の天国と地獄とその中間

臨死体験の経験者が語る世界の一つに、綺麗なお花畑があって、小鳥のさえずりが聞こえ、温かい陽が射し青々とした空がとても気持ちよく、どこまでも続くお花畑が綺麗で…という話もあります。

そこには三途の川があり、川の向こうには亡くなったおじいちゃんがいて、川を渡ろうとすると「こっちへ来るな」と帰るように促されてしまい、はっと意識が戻り生還したという臨死体験は聞いたことがあるのではないでしょうか。

とても居心地のいい世界で、そっちの世界に行けるなら死んでもいいかなぁと思う体験となり、死の恐怖がやわらぐ体験になります。

これは、天国の臨死体験を経験した話になります。

それとは対照的に、二度と戻りたく地獄の臨死体験もあります。私は地獄の臨死体験をしましたが、その話はのちほどご紹介致します。

臨死体験には、大きく天国と地獄の二つに分かれていると言われていますが、厳密にいえばさまざまなステージがあります。

あの世は天国と地獄の2つだけだはなく、その中間の階層も無数にあり、それにともないさまざまな臨死体験があります。

そこでご紹介したいのが、天国ではないけれども地獄でもない、中間の階層の臨死体験をされた話です。

臨死体験中間の階層

[30代男性]

20代の半ばから、私は酷い鬱症状に苦しんでいました。

どうしようもない自己否定感、止まない頭痛、自分だけが世界から取り残されているような悲しみ、そういったものに頭の中が支配されていたように思います。

薬を飲んでも一向に状態は良くならず、それどころか服用していた薬に対して激しいアレルギー症状を起こし、そのまま同じ薬を服用していたら、確実に死んでいたと言われました。

その当時鬱だった私が感じたのは、死の危険を回避したという安堵感ではなく、むしろそれとは逆の思いでした。

薬を飲み続けたら死ねたんだ…

医師からはアレルギーを起こした薬を破棄するよう指示されましたが、大量に処方されていたその薬をこっそりと保管し、服毒自殺の計画を立てました。

致死量足りうる薬剤の量を測り、他の薬との飲み合わせで症状が悪化するパターンも調べました。

この世に別れを告げることに未練はありませんでした。

予定通りの薬剤を飲み干し、ようやくこれで全てを終わらせられると、むしろ安堵感に満ちていたような気さえします。

意識が遠のくような奇妙な感覚の後、私は見覚えのあるような、見た事の無い場所にいました。

尖った石ころで一面が埋め尽くされている、そんな河原です。

臨死体験の話ではよく、綺麗な花や美しい光などの話を耳にしますが、少なくとも私が見たのは、そういった景色とはおよそ正反対の、不気味でおどろおどろしい、不吉な印象を持つ光景でした。

草は枯れてはいないものの、茶色みを帯びてしおれており、空はどんよりと曇り、青というよりは暗い灰色のように見えました。

私が呆然とその場に立ち尽くしていると、ざり、ざりと足音がしました。

音のする方を向くと、奇妙な格好の人物がこちらへ向かって歩いてくるところでした。

托鉢僧(タクハツソウ)のような編み笠をかぶっているのですが、着ているのは沖縄のかりゆし、あるいはアロハシャツに見えるような、どうにも緊張感の薄い服で、半ズボンをはき、靴下は履かず、わらじのようなものを履いて、尖った小石の上を歩きながら、私のそばまでやって来ました。

何者だったのかは解りません。いわゆる仏様だったのかもしれませんし、死者のお迎えだったのかもしれません。

その随分とラフな服装のお坊様らしき人物がこう言いました。

「お前さん、ほら、とっとと帰りなさいよ。まだこっちに来る時期じゃないんだよ」

どうにもそっけない感じでそういわれ、ポカンとしたのを覚えています。

「こんな死に方じゃないんだから。やりなおしだよ。はい」

そういわれ、軽く肩をぽんぽん、と叩かれました。

気付くと私は、薬を飲んで横になっていたベッドから転がり落ち、胃の中の物を全て吐き出し続けていました。

嘔吐しながら死ぬのに失敗したのだなと理解しました。

その時以来、どうにかこうにか、こうして生き続けています。

不思議な体験でした。


天国でもなく、地獄でもない臨死体験のお話でした。

自殺を考えている精神状態の臨死体験で、いわば波長の低い時にされた臨死体験です。

そのため、天国と地獄の中間の臨死体験とは言え、地獄に近い臨死体験だったと思います。

それを物語るのが、三途の川の風景です。

天国のような明るさはなく、薄暗く花もしおれている。

これは、地獄に近いことを表しています。

天国は明るく色鮮やかな世界に対し、地獄は暗く淀んでいます。

そのため、天国に近ければ近いほど明るく、地獄に近ければ近いほど暗くなります。

臨死体験に天国と地獄がある理由

臨死体験は、天国と地獄と大きく二つに分けられますが、どうしてこのようなことが起こるのか…

それは、生前の行い(波長)が死後の世界を決めるからでしょう。

天国の臨死体験を経験された方は、その調子で生きていけばきっと死後はスムーズに天国へと移行できるでしょうね。

しかし、地獄の臨死体験を経験された方は、命のあるうちに生き方を正さないと、このままでは地獄へ堕ちるという警告だと思います。

天国行きか地獄行きかを決めるのは閻魔様ではなく、生前の波長にかかっています。

低い波長のまま生涯を終えれば地獄に行きます。

今現在低い波長であったとしても、死ぬまでに波長をあげれば天国に行けるでしょう。

悪いことをしてきた人ほど、残された人生で徳を積まなければ地獄に堕ちます。

死後の世界は「生前の行いにより行く世界が違う」と心得ておきましょう。

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