「執着を手放す方法」があるなら、知りたいと思いませんか?
何かに、執着してしまうことは誰の人生にもありますが、執着を手放さなければならないと思いながらも手放せない時は、苦しい状況にあると言えるでしょう。
この記事では、執着を手放す方法についてご紹介いたしますが、私ひとりの感性だけではなく、執着を手放す方法を実践し克服した人たちの話も交えながらご紹介いたします。
あなたに合った「手放す方法」があるかもしれませんので、読み進めてくだされば幸いです。
執着を手放す方法の実例
執着を手放すために代替え的な物を生活に取り入れる
執着心が強い方は、思い込みが強い傾向にあります。
一例として、自分の思った通りに日課や事が運ぶことへの執着、お金への執着、好きな相手への執着、お酒やギャンブル、たばこへの執着などが挙げられます。
これらの多くは「欲求としての執着」であり、この執着を捨てるのは難しいです。しかし、執着を手放さないと、生活に支障を来すことも出てきます。
私は、執着を捨てる為に「生活習慣」を見直しました。
日常生活の中で「やらなくては」と執着心を自覚する場合があれば、その時間に別な行動習慣を身に付ける。お酒やたばこに執着していたので、炭酸水やニコチンが含有されていないリキッドタイプの電子タバコや、禁煙のためのパイポなどで置き換えました。
このような代替え的な物を生活に取り入れていくことで、徐々に執着心を捨て去りました。
執着を手放すには、拘れる趣味などを持つ
執着を手放せなかった私は、ある物事に対して異常なこだわりをもって、それを保持しようとしていました。
執着を持つことによって、心のバランスを取っていましたので、執着を手放すのは難しい事でした。
私が執着を手放せたのは、他に執着と言うか、没頭できる他の何かを見つける事ができたからです。ですので、執着を手放せない人は「没頭できる他の何」かを見つける事です。
例えば、家族や恋人に対して異常な執着を持った場合は、他に意識を向ける為、趣味などに没頭する事が望ましいと思います。「執着ではなく拘る」のは大切だと思います。好きなものに拘って楽しみ、私は執着を手放せました。
断捨離で執着を手放す
何かに依存していたり、物が溢れている状態を執着しているといいますが、それを捨てるにはどうすればいいのか自分の行った方法を提案いたします。
まずは「本当にそれが自分に必要なのか」ということを見極める必要があります。なくてはいけない執着、でも本当はなくても困らないのではないか、という考えを持つことから始まります。
自分に必要なものと、不必要なものを区別する訓練を行ってみれば、本当に必要なものが見えてきて物への執着がなくなり整理できました。
片付けは気持ちを新たにします。
執着を手放すには満足する心を持つ
執着心を手放すためには、今の自分の状態に満足することです。私には、欠乏感がありました。そのため「何かが足りなく、何か他のものを手に入れたら、この欠乏感を解消できるのではないか」と考えていました。
毎日の食事にも困ってませんし、帰る家もありましたが、お金に執着していました。
充分な物(者)に囲まれているのに、それに満足出来なくなっていましたが、その自分の心を認めて、自分の状態に満足することで執着心を手放しました。
物事のプラスの側面に目を向ける習慣をつけ執着を手放す
手帳に、1日1個プラスの側面を書くように心がけました。
執着を手放せなかった私は、細かいことを気にする性格なので、自分だけでなく他の人に対しても自分の思うとおりに行動してほしいと思ってしまいます。
執着を手放すためには、今までのようにマイナスの事ばかりに注目するのではなく、物事のプラスの側面に目を向けるようにしています。
最初は時間もかかり難しいと思いましたが、手帳に1日1個プラスの側面を書くように心がけていくと、心が明るくなってきて、そのうちに細かいことに囚われなくなりました。
瞑想して執着を手放す
執着心から解放されたいとき「瞑想」が最適です!
執着心の強い人は、繊細で内向的な人が多いように思います。
心が内向きになると、どうしても外側の変化に気付きにくく、一つのことに執着しがちです。
執着心を手放すには、瞑想が最適です。
瞑想すると、自分自身の様々な雑念に気づきます。そして、姿勢を正して腹式呼吸を行うことにより、雑念を振り払えるのです。また、それと同時に体調が整いやすくなり、イライラ感や鬱々感も減少して行きます。
人の考えや体調、人を取り巻く環境や物事は常に変化しています。そのことを踏まえながら、執着することなく、理想的でよりよい生活を送りたいものです。
子どもの成功に対する執着
子どもに対する執着といえども、いろんな物があると思います。
その中でも多いのが、有名な大学に行き、有名な会社に行き、人が羨むような人生を送ること。
しかし、最初から才能がなくて難しかったり、途中でこけてしまって、挫折したりと人生は簡単じゃないものです。その未来に対する親の執着が大きければ大きいほど、子どもを不幸にしてしまいます。
一番簡単な方法は、親は親としての自分の人生を見つめ生き、子どもは子どもの人生であるというのを悟り、自分の趣味や投入するものを見つけること。
執拗に執着されるよりも、ペットに投入してくれる方が、かえって有り難いものです。親は子どもの為といいつつ、本当は自分が自慢したい思いや、自分が出来なかったとこを子どもで代理満足したいなど、思いの出発が親自身にあることが多いのではないでしょうか。
執着するほど「お互いに不幸」になるもの。お願いされて手伝いをするのはいいですが、生涯かまってあげられないので、子どもの人生には「子どもが責任をとって生きる」ようにすることが、子どもの幸せであると悟らなければなりません。
執着心は適度が大切
執着は、必ずしも悪いことではありません。しかし、度を超えると悪影響のほうが大きくなります。
適度であれば、それを気にする必要は、全くありません。ただ過度になれば、様々な面から支障が生じます。執着を矯正するのは、非常に難しいことです。その執着を強制的に止めさせると、精神面で非常に悪い影響が出てくるケースさえあります。
ですから、自然と違うことに興味をもたせることにより、執着心を開放させることが望ましいです。
執着自体を肯定的にとらえる
執着を手放す方法というのがお題なのですが、そもそも「それ(執着)、簡単に手放していいんすかね?」という前提があるような気がします。
スポーツのような勝負の世界などにおいては、まさに最後まで手放してはならないように思います。
そういう意味では、執着を捨てきれない精神構造は、けっこう健全と言ってもよいと思います。
あえて言えば、ネガティブな執着心は捨てるべきなのでしょうが、執着自体を肯定的にとらえることによって解決するようにも思います。
執着を手放す4つの考え
ここからは、私の見解をお話致します。
私はよく「自立心を持って生きなければならない」と言いますが、ひとりで生きて行くために自立するという意味ではなく「精神的な自立」が必要だとお伝えしています。
友達も、恋人も、夫婦も、誰かとの辛い別れも、執着してはなりません。執着するから、人は不幸になります。
執着=人生の停滞を意味します。
人生は切り開いてこそ、幸せを掴めます。そのため、執着して停滞させれば幸せを掴めなくなります。
「してあげたのに」は手放す
「してあげたのに」は依存の現れ…
「これだけしてあげたのにしてくれない」という不満は、誰にでもあると思います。
これも「してもらいたい」という相手への依存心から生まれた執着になります。
依存心を手放せば、相手に強く求めたり不平不満を募らせながら、無理をして一緒にいる必要がなくなります。
結婚や離婚という人生の節目を迎えても、自分で決めたことだからと腹をくくり、誰かのせいにして後悔しなくなります。
例え、相手から別れを告げられても「去る者は追わず」と、強くたくましく前を向いて歩けるようになります。
執着しない人は、相手にすがることもなければ、未練に苦しみ立ち止まることもありません。
別れが来てしまったのは、それまでの縁だったと見切りをつけ、もし縁があれば再会するだろうし、縁がなければそれまでと思えるようになります。
「してあげたのに」を手放すのは、執着を手放すことに繋がります。
執着を手放し逃げるが勝ちの時もある
「逃げ」と聞くと、自分がまるで負け犬のような気持ちになるかもしれませんが、時には逃げる覚悟が必要です。
悩みと向き合っても解決しない…
時間が解決してくれるのを待っていても解決しない…
なのに「なんとかして解決するしかないんだ!」と執着しているなら、一度立ち止まって考えてみる必要があります。
逃げとは、「正確には道を変える」という意味です。
私は、いくら頑張っても成功しなかった道に執着し、何年も人生を停滞させました。その道を諦め別の道を選択してから人生を大きく好転させました。
執着して手放せないでいるものを追い続ける。その先にあるのは幸せではなく、本当の幸せは別の道にあるかもしれません。
現状を冷静に分析する、努力をしてみる、それでも好転しないのなら「逃げるが勝ち」の場合もあります。
「努力したけれども無理だ」と判断したのなら、道を変えてみましょう。努力の結果道を変えるのは、逃げではなく「卒業」になります。
私もかつて逃げることを恐れ、苦しみもがいていた時期がありましたが、逃げることで人生を切り開きました。
逃げではない「逃げ」、つまり「卒業」の場合は、その後の人生が開けてきます。必ず開ける、開くと信じましょう。
執着を手放すために腹をくくる
人生には、どんなに努力をしても叶わないことや、待っていても状況が変わらないことがあります。
努力をしてもまったくダメだったり、いくら待っても状況が変わらない場合があって当然です。それも人生には必要な経験です。
限界を感じているなら、耐えるよりも「どちらを選ぶか?」を選択し、決断する必要があります。
要は、見込みがないと思っていてもその場に踏みとどまるか、それとも今の環境を捨て別の道に進むか選ばなければなりません。
これは、仕事、人間関係、恋愛、夫婦など様々な場面に言えることです。
現状を「捨てる」という選択は誰にでもできる選択ですが、なんらかの事情があり簡単に捨てる覚悟が持てない場合もあります。
無理だと結論が出ていても、今までの経緯や環境に執着し、足踏みしたままになれば、人生を停滞させてしまいます。
つまり、道を変えるのには「腹をくくる勇気」がいるということです。
だから多くの人は「道を変える」という選択肢を視野に入れず、今の環境や立場に執着し、なんとか現状を変えたいともがき苦しみます。
結果が目に見えていても、執着するのは人の弱さです。
「できることはできる、できないことはできない」これを受け入れなければ執着を手放せません。
限られた人生を大切に生きるなら、努力をしても無理なこと無理と判断し、腹をくくって道を変えましょう。
何かを失えば何かを得ると考えれば執着心が薄れる
今の状況から逃げることは、今ある何かを失うことになります。
現状を維持したまま逃げることはできません。人は、何かを得れば何かを失います。
ですので、そのことも考えておかなければなりません。
逃げる時に何を失うのか?
失ってもいい覚悟ができているのか?
そして、失った分、何を得られるのか?
人生は、すべてを手に入れることはできません。何かを得るためには、何かを捨てなければなりません。
たとえば、嫁姑問題を例にあげます。
同居している姑の嫌がらせにあっていて、解決できそうにない場合どうしますか?
夫に助けを求めても改善されない、別居は却下、姑からは相変わらずいびられる…
なんとかしようと努力をしたけど結果に繋がらず、完全に行き詰まってしまった場合、現状から逃れるために覚悟を決めなければなりません。
このままいびられ続けるか?
離婚の覚悟を決めるか?
このまま、いびられ続ける覚悟を決められるなら「覚悟をしたんだからやり遂げる」と腹をくくり受け入れるしかありません。それはそれで辛いです。
離婚の覚悟を決めた場合、姑からの嫌がらせから逃れることはできますが、夫と別れ自分で生計を立てていかなければなりません。
姑の嫌がらせから逃げられる代わりに、収入が安定した生活を捨てなければなりません。
それはそれで、また別の大変さが生まれます。
どちらを選んでもリスクはあります。
しかし、全てがうまくいくと考えてはいけません。全てをうまくと考えるから身動きが取れなくなります。
運命を変えるには、何を得て何を失うのかを考え、決めたことに後悔しない覚悟を持たなければなりません。
いずれにしても、覚悟を決めて選択した道なら、苦難にも立ち向かえるでしょう。
どんなに逃げ道がない状況に思えても、全てを捨てる覚悟を持てば、必ず逃げ道があります。
逃げられないと思うのは、執着や依存心を捨てる覚悟を持たないからです。
人生をやり直さなければならないところまで切羽詰まっている場合は、覚悟を決めて決断する必要があります。
きっと勇気を持って決断したことは、私のように人生を切り開くきっかけになるはずです。
どうか執着を捨て、人生をやり直す覚悟で決断をしてください。
執着を手放す重要性について
何かを失った時は、何かを得るチャンスです。失ったことばかりに目を向けてはいけないのは、先程申し上げた通り。
失ったものに執着し、気持ちを切り替えないことは、その人の進化を妨げる行為になります。
例えば、恋愛などでよくありますが、運命の人と感じた人から別れを告げられてしまうこともあります。
「あんなに愛した人はいない…私にはあの人しかいない…」といったご相談もこれまでにいくつもありました。
失ったものは大きく、その悲しみが癒えることもなく、5年10年と引きずってしまう方もおられます。
恋愛で傷ついた心を癒してくれるのは新たな恋だと言いますが、過去の恋に執着すれば、次の恋を遠ざけることになるので本当に悪循環です。
「終わったものは仕方がないから忘れる」くらいの切り替えができる人は恋多き人生になり、人生を切り開けます。
執着して未練タラタラになると、新たなご縁を遠ざけ、決してよい状態とは言えません。
恋愛に限らず、人や物やお金を失ったとしても、それを嘆いているうちは幸せは遠いでしょう。
何かを失ったことしても執着をせず、何かを得るチャンスだと前向きに行動する人が幸せを掴みます。
人生のドン底から這い上がってくる人は、このことをよく理解していらっしゃる方で、失ったものに執着して立ち止まる方ではありません。
この世は「得るものがあれば失うもの」もあります。逆に失うものがあれば得るものがあります。執着を手放すためにこのことは必ず理解しましょう。
人は過去に囚われてはいけません。常に今日、明日、明後日と未来を見て生きなければなりません。
前を向いて生きた人が幸せになる話は聞いても、執着して幸せになる人の話は聞きません。
あなたが失ったものに執着しているなら手放してください。手放すことがあなたの幸せに繋がります。
パラリンピックの父とされているルートヴィヒ・グットマン氏をご存知でしょうか?イギリス障害者スポーツ協会の設立者でもあり、大英帝国勲章も授与された方がおっしゃっている名言があります。
「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」
この言葉は、身体的な部分だけのことではなく、人生のありとあらゆる場面で言えることだと思います。
如何なる時も、今ある現実から最大限に活かすことを考えるから道が開けるのだと思います。「失ったものに執着しない」これこそが幸せに近づくために必要なことです。