愛の電池切れが依存症や犯罪を起こす、愛を充電するには何をすべき?

愛の電池切れが依存症や犯罪を起こす、愛を充電するには何をすべき?
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依存症や犯罪は愛の電池切れが原因

現代には、様々な依存症があります。

買い物依存症、アルコール依存症、ギャンブル依存症、薬物依存症、恋愛依存症、セックス依存症、窃盗癖、批判依存症、ネット依存症、ゲーム依存症、暴力、ストーカーetc…

これらの依存症に共通して言えることは「愛の電池切れ」が原因ということです。愛に飢えていない人が、依存症になることは少ないです。

愛の電池切れは、依存症に限ってではありません。子供が非行に走るのも、大人が犯罪を犯すのも、根底にあるのは「愛の電池切れ」が原因です。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、人は誰でも愛の電池が切れれば、罪を犯す可能性があります。そういった意味では、犯罪者をつくりだした環境に問題があります。

どんなに善人に見える人でも、私は大丈夫と思っている人でも、愛の電池が切れれば不具合を起こします。突如として犯罪者になりうるのです。

確かに犯罪は、罪を犯す人が悪いでしょう。罪を犯した人を更生させるために罰を与えますが、そこだけに注目しても罪を犯す心は消えません。

究極を言えば、罪を犯した人であれ、愛情豊かな環境に身を置けば、悪意は消えて善意が芽生えてきます。悪意は、愛の電池が切れが起こす誤作動だからです。

人を更生させるのに必要なのは、罪人に罰を与えることではなく、罪人に愛を与えることだと私は思います。

この世は、そのような体制になっていませんので、現実的には無理でしょう。

ですが、これだけは言えます。「愛を与えずに人を狂わせるのも人ですが、愛を与え人を救うのも人である」ということです。

依存症や犯罪がなくならない世の中、自分には直接関係ないことであっても、私達ひとりひとりがその環境をつくりだしていることを忘れてはいけません。

依存や罪で幸せにはなれない

私はこれまでに、ギャンブル依存、タバコ依存、ゲーム依存、恋愛依存や欲に溺れ罪を犯すこともしてきました。

過去の自分を振り返れば、愛の電池が切れが原因で、依存や罪を犯していたことがわかります。それらは、寂しい心の表れだったと思います。

依存症に悩み、罪を繰り返す自分を軽蔑し、一時の快楽をいくら追いかけても、心から満たされることはありませんでした。

愛の電池が切れたままでは、負のループにはまり、決して幸せにたどり着くことはできません。

依存症や罪を繰り返してしまう人は、どうして自分が繰り返してしまうのかに気づかなければなりません。

原因がわからないままでは、いつまでたっても向かう方向性すら見えてこないのです。

依存症も、罪を繰り返すのも、愛の電池切れが原因ですので、愛を充電する必要があります。

「愛情を注いでくれる人がいないのに、どうやって充電するんだよ!」と思われるでしょう…

しかし、この世は因果応報で、やったことだけが返ってきます。今すぐには無理ですが、時間をかけて愛情を受けられる環境をつくりだすことはできるのです。

愛の電池を充電する方法

もしも、依存症や罪を繰り返しているなら、まずは愛の電池が切れていることを自覚してください。

「考えてみれば愛の電池が切れている、愛に飢えている」と思えたなら第一段階はクリアです。それすら思えない方は、まだ気づきの段階ではありません。

ただし、子供は例外です。子供は、親や周りの人が愛情を注ぐように大人の配慮が必要です。子供は、例外としてお話致します。

身近にある愛の電池切れを言うと、妬みや僻みもそうです。腹が立つから意地悪をするのも、愛に満たされておらず、愛の電池が足りていない証拠です。

私も深く実感していますが、愛の電池が切れるのは、人に愛を与えないことが原因です。

人に愛を与えることよりも、愛されることばかりを考えている人は、愛の電池が切れます。

この世は、因果応報です。

やったことだけ返ってきます。

このことをわかっていなければ、いつか愛の電池が切れます。

愛の電池が切れるのは、単純に「人に愛を与えない=愛してもらえない=愛の充電切れ」となるからです。

ここで言う愛とは、利己的な愛ではありません。利己的な愛とは、見返りを求めた愛です。

打算的な愛は、本当の愛ではありません。打算的な愛では打算的な愛しか返ってこず、愛の電池切れになります。

人から愛されるには『見返りを求めない愛』を人に与えることです。その繰り返しで、愛されるようになっていきます。

例え他人であれ、思いやりや優しさを持って接する、横柄な人がいても攻撃的な感情を抱かない。横柄な人も愛の電池切れで満足のいく人生を送れていないのです。

依存症や罪を繰り返してしまうことに悩んでいる人に、まず考えて頂きたいのは、

「自分は、他人に対して見返りを求めない愛を与えているだろうか?」ということです。

荒れていた頃の私は、見返りを求める愛しか与えていません。利己的で打算的な考えばかりをしていました。

一歩外に出れば敵だらけ、このような思考で平穏な日々が訪れるはずもありません。

愛の電池が切れていた私は、望んでいた物を手に入れても、満足することはできませんでした。次から次へと湧いてくる欲を満たす日々、堂々巡りを繰り返し、一時の満足しか得られませんでした。

愛の電池切れは、人を狂わせます。悪意100%で生まれてくる人はいません。本来の自分を取り戻すには、愛を受ける必要があります。

そのためには「愛を与えること」「愛を与えずに愛を得ることはできない」ことに気づく必要があるのです。

今私は、おかげさまで「愛の充電一杯」です。日々、愛を意識して過ごすことで、愛を与えられ、人生は大きく変化しました。ちなみに…私が身近で日々実践している「見返りを求めない愛」について一部ご紹介します。

外食して会計の時に「ごちそうさまでした」と感謝を伝える
買い物して会計の時に「ありがとうございました」と感謝を伝える
車を運転中、合流したい車がいれば間を空け譲る
道ですれ違う人がいれば、相手が通れるように自分が移動する

「え?こんなこと?」と思われるような日常のことです。
愛の充電切れの人は、外食しても「それがあなたの仕事なんだから当たり前でしょ」という感情を抱き、運転中に合流したい車がいても「絶対入れさせない」と車間を詰め、道ですれ違う人がいても「自分は動かない。相手が動けばいい」という行動をとるでしょう。

そのような言動は、自分自分を苦しめるだけです。

見返りを求めず、日々愛を与えていると心にゆとりが生まれ、その心が、さらに愛を生み出します。愛を与えるきっかけは、私達の生活の中にたくさんありますので、身近なところから意識してみてはいかがでしょうか。

どうか、少しでも心に響くことがありましたら、実践して頂き、数年後の平穏な日々を目指して頂きたいと思います。

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