人生は「修行の場」です。
苦難をたくさん経験する人生は、まさしく修行と言えるでしょう。
しかし私たちは、なんのために修行をしているのでしょうか…
この世は苦しいことばかり、わざわざ生まれてくる必要はなかったと思うこともあるでしょう。
私達が、人生の修行をする一番の目的を結論から申し上げますと「大我に目覚めるため」です。
この記事では、「人生で修行をする意味」についてお話をさせて頂きます。
人生は修行の場・なぜ修行をするのか?スピリチュアルの視点から
スピリチュアルには、大我と小我という言葉があります。
「大我」とは見返りを求めない利他愛のことです。
「小我」とは見返りを求める利己愛のことです。
「大我」のわかりやすい例をあげると、親が赤ちゃんにミルクをあげるときに「ミルクあげたんだから何かお礼してよね〜」とは思いませんよね。このように、見返りを求めない愛のことを大我と言います。
それとは逆に「これだけしてあげたんだからお礼してよねー」というのを「小我」と言います。
私達は、魂の成長を目指していますが、目指すところは「大我の愛」に目覚めることです。いろいろな人生の修行を通じて、小我から大我へと成長しようとしているのです。
人間は、我欲の塊ですので未熟な魂です。この世に生まれてくる時点で、まだまだ修行を必要としています。
人生は修行・忍耐を学ぶ
人生は修行であり、修行には忍耐がつきものです。修行は楽なものではありませんが、そのことをわかった上で私達は生まれてきました。
しかし、何かに努力をして結果を得られた時の達成感というのは、努力した分だけ深くなるのではないでしょうか。その達成感も苦労あってのことで、あの世では味わうことができない貴重な経験です。
人生には、さまざまな人間関係があります。家族、結婚、恋人、友人、仕事など、その中で忍耐を学ぶこともたくさんあると思います。
家族のために、我慢しなければならないこともあるでしょう。友達のために、我慢をすることもあるでしょう。
仕事では、望んでいた部署に配属されなくて、見送らなければならないこともあるでしょう。
いつまで続くかわからない親の介護にも、忍耐力が求められます。
あれもこれも我慢はつきもので、我慢のない人生を送る人などおりません。
それを恋愛や結婚に焦点を当てるなら、恋愛は「感性の学び」結婚は「大我の愛を育てる忍耐と絆の学び」とスピリチュアルでは言われています。
素敵な相手を選んだとしても結婚には忍耐がつきものです。
人生は修行の場・素直に生きる
人間「素直が一番」ですが、人生の修行の中で理不尽と思えることもたくさん起きるのが人生です。
そのため、世の中のありとあらゆることに文句をつけたがる人もおられます。あなたは、そのようになっていませんか?
例えば
「人の話を素直に聞けない」
「人の話に文句をつけたがる」
または、「でも…だって…どうせ…」という否定的な言葉を使っていませんか?
あなたは、人の声に耳を傾けられる「素直な心」を持っているでしょうか?
例えば、結婚は忍耐を学ぶと聞いたときに、
「私は、結婚してないので忍耐を学ばなくていいということですよね?忍耐を学ばなくていいはずなのに、我慢ばかりの人生です。なぜですか?」と卑屈になりませんか?
こうした思考で生きていると、何かにつけて不平不満や屈折した感情が湧き、マイナス思考で日々を過ごすことになります。
卑屈な考えで生きている方は、卑屈な考えでは幸せになれないことを学びます。
私は、これまでたくさんのご相談をお受けしてきましたが、ロクな人生ではないとおっしゃる方のほとんどは、卑屈な考え方をしておられます。
卑屈な考え方を正さない限りは、幸せにたどり着けません。
人生は修行の場・卑屈が苦を生む理由
卑屈な考えが、どうしていけないのか?
大切なことですので繰り返しお話致します。
この世は、大我に目覚めるための修行の場です。
大我とは、利己愛(自分を愛する)ではなく利他愛(人を愛する)のことを言います。
卑屈になる人の特徴として、利己愛が目立ちます。
自分はどうして幸せになれないのか…
自分はどうして恵まれないのか…
あの人は幸せなのに私はなぜ…
利他愛に目覚めることが人生の目的であるのに、人を羨み妬んでしまうと利己愛ばかりが強くなります。
そうすると、守護霊は利他愛に目覚めないあなたに苦を与え、利己愛で幸せになれないことを教えます。
そのため、利己愛に生きる人に幸せは訪れないのです。
卑屈になり利己愛が強くなればなるほど幸せから遠のきます。
人生は修行の場・素直が一番
逆に素直に人の話を聞き入れる方は、道が開ける方が多いのです。
これは思考の違いで、引き寄せるものが違ったり、見えない力の働きかけが変わるからだと思います。
単純に考えても「卑屈な人」と「素直な人」、どちらと仲良くなりたいですか?困っていたらどちらを助けたいと思いますか?
単純に考えれば、答えは歴然です。
素直で前向きな人生の修行を行うことが、幸せを引き寄せるコツです。卑屈にならないよう、物事をポジティブに受け止めましょう。
人生は修行の場・魂
魂は、この世を一番の修行の場として生まれてきます。
私達がこの世で修行するのは、魂を向上させるため。魂を向上させるとは、魂を磨くということです。
魂を磨くということをダイヤの原石に例えるとわかりやすいのですが、原石は磨かなければ、ただ石。
それをたくさん磨くことで、石からダイヤモンドへと姿を変えていきます。まだ石の状態なのが私達人間であり、ダイヤモンドになるためにこの世で魂を磨いています。
私達は、輪廻転生を繰り返し大我に目覚めることを目的としています。いつか光り輝くダイヤモンドになり、神になることを目指して人生で修行をしています。
人生は、何よりの魂の修行になります。どんな人生も無駄にはなりません。人生は修行の場と捉え、たくましく生きていきましょう。