私たちはなぜ生まれてきたのか?
人生を生きることにどんな意味があるのか?
多くの人が一度は自問自答したり、疑問を抱くことがあるのではないでしょうか。
この記事では、「生まれてきた意味について」ご紹介したいと思います。
生まれてきた意味は「生きることに価値があるから」
スピリチュアルでは、生きる意味について「生きる価値があるから生きるのではない、生きることに価値があるから生きるのです」と言われています。
つまり、生きる価値云々ではなく、生存しているだけで価値があるということ。
ある人気お笑い芸人が、「生きているだけでまるもうけ」とよく言っていますが、本当にその通りです。
極端な話、何もせず生存しているだけでも素晴らしいと言えます。
何もしないで時間だけが過ぎていたとしても、暇が故の苦しみや将来の不安が生まれます。
どんな状況であれ、そうした心の葛藤を経験するだけでも生きる価値があります。
財産もない、人脈もない、特技もない、才能もない、地位も名誉もない、何一つ人に勝るところがないからと言って、生きる価値がないのではありません。
「生きていること」がとても重要で、それだけで生きる意味と価値があります。
生まれてきたのは魂の修業ため
私たちが生まれてきたのは、魂の修行のためです。
この時代を選んだのは、この時代だからできる経験があるからです。
物質的な部分は昔より満たされたにしろ、現代はまた違った意味で苦労があります。
どの時代に生まれても時代時代の学びがある中で、私たちはこの時代を選び生まれました。
具体的には、自身の学びに相応しい国を選び、性別を選び、親を選び、肉体を選び、環境を選んで生まれてきている…。
これらは、生まれる前に自身で選び決めてきた道であり、「宿命」と言います。
つまり、生まれたのは偶然ではなく必然です。
私たちは今、物が溢れている時代を選んで生まれてきたわけですが、一昔前と比べると全く学んでいる内容が違います。
私の親の世代は、戦後の日本を生きてきた人たちですが、昔の話を聞くと、かつては食べていくことがままならず、ご飯をいっぱい食べられるだけで幸せなことだと言っていました。
現代人からすると、ご飯を腹いっぱい食べられるのは当たり前のことで、食べれない生活をとても惨めに感じてしまいます。
物が溢れて物欲を満たすことが当たり前になった現代では、食べることは当たり前で、それだけでは満たされません。
何かの目標を持ち、努力して達成できなければ、生きている価値すらないと自分で自分を追い込むような時代になりました。
夢に破れ、生きる価値がないと落ち込んだ方もいらっしゃるでしょう。
「今まさに落ち込んでいる…」という方もいらっしゃるでしょう。
今どんな状況であれ、最低限必要なものがあれば、とりあえずは良しとしましょう。
もし、「なんの取り柄もないオマエは生きている価値すらない!」と誰かに言われたとしても真に受けてはいけません。
生きることに意味があり、生きている価値がない人などこの世にひとりもおりません。
生まれてきた意味は愛を学ぶため
私たちは、勝手に生まれてきたのではありません。
生まれてきたのは「生まれたいという魂の強い決意」があってのこと…
生まれることを望んで生まれてきた私たちの魂は、この世で修行しようという強い意思を持っています。
天国からすれば、この世は地獄です。
その地獄へわざわざ志願して生まれてきたのですから、その意気込みは図り知れません。
豊かな国を選んで生まれようが、貧しい国に生れようが、あなたの魂に必要な経験ができる国を選び、生まれています。
あの世では、波長の違う人とは出会わないと言われていますが、この世では波長の違う人たちとも出会うことができ、さまざまな人に揉まれて善悪両方を学ぶことができます。
私たちが生まれてきたのは、あの世ではできない経験をするためです。
ですので、この命を粗末にすることのないように、命ある限りは生き抜く使命があります。
生まれてきた目的は、魂の成長に欠かせない愛を学ぶためで、愛を学ぶためには喜怒哀楽すべての経験が必要です。
前世で人を奴隷のように扱ったなら、現世では奴隷のように扱われることで愛を持つ大切さを学びます。
人を愛さずに苦しめてきたなら、今度は苦しめられて愛の大切さを学びます。
前世が孤独だったのなら、現世では大家族で愛される喜びを学びます。
輪廻転生する中で、酸いも甘いも経験して深い愛を学んでいます。
こうした経験はあの世ではでないため、わざわざこの世を好んで生まれてきます。
たくさんの喜怒哀楽を経験しましょう。
それこそが、生まれた意味です。