バチが当たる人と当たらない人の違いとは?意地悪しても天罰が下らない理由

天罰が下る人と下らない人の違いとは?バチが当たらない人がいる一つの理由

みなさんは、天罰はあると思いますか?それとも、天罰はないと思いますか?

さまざまなお考えがあるとは思うのですが、どちらにしても「なぜあの人はバチが当たらないの?」そんな疑問を抱いたことがあるのではないでしょうか。

この記事では「バチが当たる人がいる一方、バチが当たらない人がいる理由」についてお話をさせていただきます。

目次

バチが当たらない人を見てモヤモヤしたことがありますよね?

真面目に生きている人が苦労して、どうして道徳に反した人が何事もなく生活を送っているの?

それどころか、意地悪な人や人を騙して踏み台にするような人が、どうして楽しそうに生きてるのだろうか?

このような疑問を感じてモヤモヤしておられる方がいたらそれはきっと、過去に理不尽なことをされた経験があるからですよね。

一方で、人に迷惑をかけ傲慢に生きている人は「天罰などある訳がない」と思っているケースが多く、だから自分の感情のままに傲慢な振る舞いができるのだと思います。

実際にご相談をお受けしていても「私ばかりが不幸になって、私を不幸にした人にどうしてバチが当たらないのですか!」と、聞かれることも結構あるのですが、それだけ理不尽な経験をしている人が多いということであり、「天罰など下らない!」と思う方が増えるのは当然の結果だと感じます。

実際私もそのように思っていた時期がありましたので、そのお気持ちは十分理解できます。しかし、永遠にバチが当たらない人はこの世に一人もいません。必ずどこかのタイミングでバチが当たります。

その理屈をご説明するには、そもそもバチが当たるのはなぜか?ということをご理解いただく必要がありますので、以下「バチが当たる理由」について簡単にご説明をさせていただきたいと思います。

バチが当たる理由

「神様がバチを与える」という認識が一般的かと思います。

これは私の見解ですが、バチを与えているのは神様ではありません。

スピリチュアル的観点から申し上げますと、神様が罰を与えるのではなく、因果の法則(因果応報)により報いを受けること…それが「バチが当たる」という状態を指します。

つまり、悪い種を蒔いた人間に因果の法則が働き、未来の自分に罰を与えているだけで「バチが当たるのは身から出た錆」ということです。

神様は私たち人間とは違い、もっと高いところからこの世を見ています。こんな事を言うと人格を疑われますが、人の悪事も「気づきを得る為に必要な過程」として捉えられています。

この世には因果の法則が働いていますので、悪いことをしたら悪いことが返ってきます。悪い出来事として返って来た時はじめて人は、「過去の報いが返ってきたことを知り」深く反省し改めます。

「悪いことをする」→「悪いことが返ってくる」→「深く反省して更生する」こうした流れを学ぶためにこの世があり、つまりは「悪事には悪事なりの学びがある」ということになります。

繰り返しになりますが、神様が罰を与えているのではなく、バチが当たるのは「己自身の過去の行ないが原因」であり、すべては因果の法則によるものです。

バチが当たらない人がいる一つの理由

結論から申し上げますと、バチが当たらない人はこの世に一人もおりません。いつか必ずバチが当たります。

ですが、バチが当たらないように見える人がたくさんいるのも事実です。

ではどうして、バチが当たらないのか?

それは『今はただ、泳がされているだけ』だからです。

言い方を換えますと「より深い気づきを得るために、悪業を積んでも泳がされる期間(=悪業を溜める期間)がある」ということです。

人はこの世に魂の未熟な部分を正す為にやってきますが、魂の持つ悪意を消し去るには「悪意はいけないことなんだ」ということを身を持って経験しなければなりません。

しかし、ちょっとした悪業を積んだだけでは、改心できるほどのバチが当たりません。

業が深ければ深いほど、大きなバチが当たる為、より深い業をつくる為に泳がされる期間が与えられます。

悪業を働いているにも関わらずバチが当たらない人がいたら、それは泳がされているだけですので、いずれ大きなバチが当たる日が来ます。

そうした方とは距離を置き、なるべく関わらないようにしてください。

バチが当たれ!などと思っていたら、その感情はやがて自分に返ってきます。

気持ちを整理するのは簡単なことではありませんが、あなたが願わなくても、悪業を積んできた人は苦しむ日が来ますので、未来を見て歩んでいっていただきたいと存じます。

いい人ほどすぐにバチが当たる

上記と重複した内容になりますが、もう少し補足をさせていただきます。

皮肉なことですが、悪い人ほど泳がされる期間が長くなりますので、ずっとバチが当たりません。

軽い警告で改心する人にキツイ罰は必要ありませんよね。

ですので、いい人ほどすぐにバチが当たり、改心することができますので、その結果、真っ当な人生を送ることができます。

逆に、悪い人ほどバチが当たらないのは、悪業を溜める期間が長く設けられるため、悪事を働いても直ぐには返ってきません。より大きなバチが当たる為に長い間泳がされ、悪業が蓄積されてからまとめてバチが当たります。

「私は直ぐにバチが当たる」という方は、それだけ悪い業を溜めていないということであり、順調な人生を送っていると言えますが、「バチなんて当たったことがない」という方は、長い間悪業を溜めている可能性がありますので、「バチが当たらないのは怖いことだ」と捉え、気づきの観点を持つことをおすすめします。

今世でバチが当たらない人はいるのか?

極端な話「今世は悪業積み、来世で反省する」という方もいらっしゃいます。

その場合、バチが当たらないまま生涯を終えることになりますので、カルマ(悪業)は来世に持ち越され、悪業を蓄積したまま生まれ変わることになります。

溜めに溜めた悪業が返ってくる人生がどうなるのか…想像するだけでも嫌になりますが、私たちの魂は今世の一回きりではありません。魂の長い歴史を考えると、バチが当たらないことが如何に不幸なことか分かります。

普通に考えるとバチが当たることを不幸だと思いますが、魂の視点では、過ちに気づかなかった報いを来世でまとめて受けることになりますので、バチが当たらない人ほど不幸です。

カルマは蓄積されるよりも、その都度消化された方が本人にとっては幸せなこと。間違いに気づき、早く正せば傷は浅くてすみます。

誰かのことを憎んでいたとしても、遅かれ早かれその人には必ずバチが当たりますので、あなたの心を復讐心や妬みで埋め尽くさないようにしてくださいね。

今世で天罰が下るとは限りませんが、魂という長い歴史の中で必ずバチが当たります。

「バチは必ず当たる」ということにいち早く気づくことで、その後の生き方が変わり、未来は変わっていきます。

いい種を蒔いて人生を輝かせましょう。

バチが当たれと願う心が自分にバチを与える

バチが当たれと思ったことのある人は多いと思います。

しかし、そう思うことは未来の自分にバチを与えることになります。

自ら復讐して憂さ晴らしをする人もいますが、それは一時的な自己満足に過ぎません。負のカルマを背負ったあなたにいずれバチが当たるからです。

「やられたらやり返す倍返しだ!」これは本当に間違いで、未来の自分を苦しめることになります。

「バチが当たれ」という感情はあなたにとってマイナスでしかありません。

あなたが手を下さないことはもちろんのこと、そこに気持ちを向けるよりも、自分が幸せになることに気持ちを向けた方が充実した人生を送ることができます。

人には感情があるのでなかなか難しいことですが、人を恨んでも自分に返ってくるだけですので、人の不幸を願うことはしないようにしましょう。

バチが当たった人が気づくべきこと

バチが当たると、結果的に苦しめられることになりますが、それは己を振り返り改心する為の時間です。

悪いことをすればバチが当たり、バチが当たってはじめて痛みを知り、改心するきっかけができます。

厳しい言い方をすれば「身から出た錆=バチが当たる」になりますので、自己責任以外の何物でもありません。

バチが当たるのは、人が正しい生き方をするため、善意を身に付ける為に気づきが与えられています。

バチが当たったと思えるようになったら、改心する段階に入ります。

【心を入れ替え「いい種を蒔こう」という善意が生まれる】

【善意を実行し、いい種を蒔くことで明るい未来がやってくる】

バチが当たった分だけいい種を蒔けば、その種が幸せを運んで来てくれるということです。

悪い種を蒔けばバチが当たりますが、いい種を蒔けば幸せが返ってきますので、因果の法則に気づいたらすぐにでもいい種を蒔くように心掛けましょう。

バチは人格を向上させる

「バチが当たった」と思う経験は、私達の成長に欠かせません。

なぜなら、バチが当たった人にしか見えない景色があり、それを知らずして成長はないからです。

ですので、バチが当たったと思う経験をしても、それを教訓にすれば失敗ではなく成功です。

バチが当たったと感じる経験をした時、バチが当たった運の悪さを憎んでも仕方がありません。

バチが当たるのは身から出た錆ですので、未熟だった自分を省みることが大切です。

このような言い方はよくありませんが「人は、人格を向上させる為に悪業を積んでいる」とも言えます。

今はどんなに素晴らしい人格者でも、生まれ変わる中でバチが当たる経験を繰り返しています。その経験があるからこそ正しく生きられます。

バチが当たったと思う経験をしたら、自分の幸せ…大切な人の幸せ…世の中の幸せのためにも、心を改めて成長へと繋げましょう。その結果、人格者へと近づき、幸せにも近づきます。

「バチが当たらない」モヤモヤを解決する方法

・なぜ、私を苦しめたあの人がのうのうと生きているの?
・どうして私ばかり苦しまなければならないの?
・仕事をさぼっているあの人にはなぜバチが当たらないの?
・今私が不幸なのは、過去の悪業によるものなの?
・私はバチが当たったことを通じて、何に気づくべきなの?
・「バチが当たれ」という憎い感情はどうすれば収まるの?

誰にも相談できない「心のモヤモヤ」を抱えておられませんか?

当鑑定では、「された悪業・した悪業」「天罰」に関するご相談も取り扱っており、現実的スピリチュアルの視点から起きた意味や対応策まで、ご相談者様に納得できる鑑定結果をお伝えいたします。

「意味を知る」「対応策を知る」そうすることで、今すべきことが明確になり、晴れ晴れとした気持ちで再出発できるという方も少なくありません。

又、もう一つの対応策として「遠隔浄化」というものがあり、自分の中にある負の感情を浄化するお手伝いをさせていただくことも可能でございますので、辛い気持ちや人には話せない感情なども含め、ありのままのお気持ちをまずはお聞かせくださいませ。

「天罰」に関するご相談事例

実際に、社内の人たちから八つ当たりを受け「何で私ばかり…裏切られた…」という思いをどこにも吐き出せず、周囲がみんな敵のように感じていた女性(30代)のご相談事例がございます。

立場の弱い女性に八つ当たりをしてくる上司たちに「どうしてバチが当たらないのだ!」と思っていらっしゃったかもしれません…。八つ当たりを肯定するつもりはありませんが、そのような環境に身を置いたスピリチュアル的な意味はあり、鑑定でそのことをお伝えした結果「あやふやにしていた事にはじめて気づかされた気分です。改めて真正面から向き合えそうな気がします。」と力強いお言葉をいただきました。

「理不尽な人にバチが当たらないのはなぜか…」とモヤモヤしていらっしゃるのはあなただけではありません。しかし「バチが当たれ」という負の感情は現実問題いい結果を招きません。

そのモヤモヤを解消できるかもしれませんので、会社での人間関係がトラウマに…今世で学ぶべき魂の成長を知りたいを一度ご覧ください。参考になりましたら幸いに存じます。

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