「大我の愛」と「小我の愛」の意味・違いを見分ける4つのポイントとは?

「大我の愛」と「小我の愛」の意味・違いを見分ける4つのポイントとは?スピリチュアル
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スピリチュアルでは愛を
「大我(たいが)の愛」と「小我(しょうが)の愛」の二つに分けて表現されます。

大我も小我も文字通り「愛」のことではありますが、同じ愛でもその意味は大きく異なります。

この記事では「大我の愛とは何か」「小我の愛とは何か」について詳しくお話をさせていただきます。

「大我の愛」と「小我の愛」の意味

大我の愛と小我の愛を一言で…

大我の意味

見返りを求めない愛・無償の愛・利他愛

小我の意味

見返りを求める愛・打算的な愛・自己愛

大我の愛とは?

大我とは、見返りを求めない愛や無償の愛、利他愛になります。

見返りとは、物質的なことだけではなく、精神的なことも含まれます。

見返りを求めずに愛情をかけられる心は、まさに大我の愛と言えます。

大我の愛4つのポイント

・見返りを求めない愛・無償の愛
・親が子供にかける無償の愛
・感情ではなく理性的な愛
・大我の善意は結果に対して責任が取れること

この4つが大我の愛の基準とされており、これらを理解していれば大我と小我をハッキリと見分けることができます。

では、具体的な例をあげて「大我と小我を見分けるポイント」を見ていきましょう。

親子関係に見る大我の愛

例えば「大きくなるまで育ててやったのだから、親の老後の面倒を見るのは当たり前」こうした見返りを期待して育てているなら、それは大我の愛ではなく小我の愛で育てていることになります。

大我とは、見返りなどを期待せずに愛情をかけることですので、大きくなったら恩返しをしてほしいと願うのは小我の愛になります。

ですが、人は子育てを通じて大我の愛を学んでいることは少なくありません。

「大我=母性」と言われています。大我を親の愛情だと考えればわかりやすいですね。

女性は母親になると、「子供の為に命をはれる」と言いますが、自分の命を犠牲にしてまで子供を救いたいと思うのは、まさに大我の愛です。

こうした自己犠牲をいとわない親の愛は、大我の愛の代表的な部分です。

また、子供のためを思い、わざと厳しくしたり、嫌われ役を買って出るのも大我です。

嫌われるのが怖いからと甘くなるのは、自分可愛さ故の行動であり、小我になります。

しかし、厳しくする理由が自分の世間体を気にしてのことなら小我になります。

厳しさ一つを取っても、動機によって大我の愛か小我の愛か違ってきます。

大我は感情ではなく理性

大我は、理性そのものとされています。

かといって感情のすべてが、小我ではありません。

人は感情的になりますが、怒りや悲しみは小我になります。

わかってもらえなくて腹が立ったり、愛してもらえなくて悲しくなったりするのも小我です。

大我は、相手にわかってもらえなくても腹を立てることもなく、理性的にわかるまで説明するのみです。

大我は、愛されなくても、相手が幸せなら悲しみません。

愛されたい感情は、自分可愛さの小我の感情です。

大我とは感情的ではなく、冷静沈着に理性で物事を考えることを言います。

相手の為を思い断るのは大我の愛

お金の貸し借りを例に挙げます。

もしも、浪費グセのある人が「お金を貸してほしい」と言ってきたら考えればなりません。

いくら可哀想という感情が芽生えたとしても、お金を貸すことが、本当にその人のためになるのか?ということを第一に考えましょう。

身の丈以上にお金を使ってしまう浪費グセがあるからお金に困るわけで、相手の更生を願うのであれば、嫌われても貸さないのが大我です。

逆に、「嫌われたくないから貸す」これは小我です。

自分の立場を省みず、相手の事を思って本当に正しいと思う事をするのが大我になりますので、可哀想という感情に流されるのではなく、相手の為にきっぱり断るのは大我になります。

大我の善意は結果に対して責任が取れること

これは「無理をしない」ということです。

無理に良いことをしようとしても、自分の器以上のことをすれば、無理が祟ります。

できないものはできない!とハッキリ伝えることも、大我とされています。

つまり、自分の器を知った善意が、大我になります。

善意を持つことは大切ですが、やせ我慢の善意が大我になるのか?と言えば違います。

大我の善意とは、自分の器を知った上での善意が前提となります。

大我の善意を知らなずに招いた不幸

以下のお話は、大我の善意を知らない私の例です。

私は、子供の頃から動物が好きでした。

私の子供の頃は、捨て猫などをよく見かけた時代です。

学校の帰り、「にゃ〜にゃ〜」と子猫の声が聞こえ、鳴き声の先を見ると、そこには子猫が捨てられていました。

当時小学二年生だった私は、可愛い子猫が泣き続けている姿を見て可哀想に思い、子猫を抱き上げて家に連れて帰り、家で飼うことになったのです。

ここまでは大我の善意だと思います。

しかし、大我の善意か、小我の善意かは、その後の行動で変わります。

二年くらい育てたでしょうか…

ある日、引越しをすることになりました。

引越し先は借家で猫を飼うことを禁止されていました。

そのため、父が猫を遠くに連れて行き捨てたのです…

飼っていた猫を捨てるのは、我が子を捨てるも同然で、ハッキリ言って酷いことです。

可哀想だからと思い飼ったとしても、最後まで責任が取れないのなら飼うべきではありません。

最期まで面倒を見る覚悟もないのに猫を飼ったのは、小我の善意だったと思います。

大我の善意をまっとうするには、自分の器を知った上で行動をしなければなりません。

自分のやったことに責任を取るのも大我です。

小我の愛とは?

小我の愛は大我の愛の真逆になりますので、見返りを求めた愛になります。

これだけ尽くしてあげたのだから、その期待に応えてほしいと誰もが思いますが、それも見返りを求めているので小我になります。

それでは、次は小我についていくつか例を挙げさせていただきます。

恋愛における小我の愛

恋愛を例に挙げると、分かりやすいと思います。

例えば、あなたに結婚を前提に付き合っている人がいて、その相手に好きな人ができました。

相手の好きになった人は、あなたから見ても素敵な人だと思える人格者だったとします。

あなたは恋人から、「好きになった人と付き合いたいから別れてほしい」とお願いされました。

この時、大我の愛のであれば、相手の幸せを願い身を引くことになります。

しかし私たちは小我です。そのため、裏切られたと恨んだり、取られたくないと別れを拒んだりします。

大我の愛は自己犠牲をいとわない愛ですので、例え自分が不幸になろうとも相手の幸せを一番に考えられる愛のことを言います。

仕事における小我の愛

看護師さんや介護士さんを例に挙げますが、直に人と関わり、やり甲斐を肌で感じられる仕事だと思います。

やり甲斐を感じる時は「ありがとう」と感謝をされた時ではないでしょうか。

「ありがとう」と言われることを励みにするのは悪いことではありません。

しかし、大我の視点では、感謝を求めて仕事をするのは間違いです。

「感謝されたいからやっている」では、見返りを求める愛になり、つまりそれは「小我」になります。

「これだけ尽くしているのに、ありがとうの一言もないなんて!」と腹を立てたり、空虚感で凹んでしまうのは、見返りを求めている小我です。

大我の仕事とは、こうした見返りを求めることなく、相手の為だけを考えおこなう仕事になります。

貸したお金が返ってこなくて腹を立てるのは小我

大我と小我をお金の貸し借りで例えるとわかりやすいと思います。

知人に「一万円貸してほしい」とお願いされて一万円を貸したとします。

約束の期日を過ぎても一万円が返ってくる気配がありません。

問い詰めると「ボーナスまで待って!」と言われました。

すると、あなたはこう思うでしょう「借りたものは約束の日に返すのが当然だろ?」と…

確かにその通りですが、大我でお金を貸していれば、返ってこないことに腹を立てません。

大我は「貸す=あげる」になります。何の見返りも求めません。

腹を立てるのは、感謝されたい小我な思いがあって貸したからではないでしょうか。

お金を返してもらえなくて裏切られたと思うのも、見返りを求める小我になります。

人は小我の塊

「あなたは大我の愛で生きられていますか?」と聞かれて自信を持って「はい」と言える人はいないのではないでしょうか?

それもそのはず、そもそも人間は小我の塊です。小我だからこそこの世に誕生し、少しでも多くの大我に目覚める為に生きています。

あなたも私も輪廻転生を繰り返していますが、この世を生きるのは、様々な経験をする中で少しずつ大我に目覚めていく為です。この世は小我な魂の集まりですので、神のように崇高な魂は存在しません。

また、神のような崇高な魂は、大我の愛の塊ですので、この世に生まれることはありません。

私達が小我であるのは当然のことですが、少しでも大我に目覚めることが魂の成長になり、それが私たちの生まれてきた意味だということを、頭の片隅にいれておきましょう。

大我の愛と小我の愛を簡単に申し上げますと以上になります。もっと突き詰めたところを知りたいと思う方は、さらに詳しく下記でご説明致しますので、読み進めていただければ幸いです。

「最後に…」
いかがでしたでしょうか。ここに書かれた内容をご理解いただければ、大我の愛と小我の愛の違いをお分かりいただけると思います。

私たちは小我であるからこそ生まれ、大我の愛に目覚める為にこの世を生きています。そのため、完全に大我の愛で生きることはできませんが、大我の愛を意識して生きることで、魂は磨かれていきます。

この概念を知っているだけでも、自身の成長に繋がると思いますので、参考にしていただけますと幸いです。